歴史とロマンの里“平家谷”をご案内致します(^.-)☆ <1/4>
  
'02/04/14(日)

 今日・日曜日も朝から大変爽やかな好天です(^_^)v

 少し暑いのでは…との気持ちも生じますが、朝食後に少しだけGWの引っ越しの荷造り作業でした。
 昨日、引っ越し業者sanとの打ち合わせをしまして、夕方近くには早速ダンボールの持参がありました。で、まだ少々早いのですけど、一部の荷物を荷造りでした(^-^)

 GONchanに取りましても今回が6度目の引っ越しとなりますから、当初のような不安もないのでしょうネ…
 “ふ〜ん、また引っ越しなのか…”とでも言いそぅな冷めた視線を向けてくれておりました(^.-)☆

 でも、適当な時間となりますと、散歩の催促です。
 仕方なく、このまま荷造り作業を続けたい気持ちもありましたが、嫁さん・GONchanと散歩にと出発です。

 今日は何処へ出かけてイィものやら…と、暫し思案。
 で、頭に浮かんで来ましたのが、少々時期が遅いのですけど、福山市の西部・沼隈郡沼隈町の“平家谷”でした。
 ここには“つばき園”“花しょうぶ園”が存在しまして、なかなかイィとこなんですけど、今まで一度も出かけた事はありません。ですから、今回が初めての訪問です。

 暑い中を“つばき園”“花しょうぶ園”と散策ですから、GONchanすっかりバテてしまいましたようです(^-^;
 “つばき園”は3月末頃、“花しょうぶ園”は梅雨時が最適なのでしょうけど、私達と同様に散策を楽しんでおられます方々も結構おられましたよ(^_^)v

 それでは、また、画像でご案内させて頂きますネ(^-^)/

歴史とロマンの里“平家谷”

 文治元年(1185)屋島の合戦に敗れた平家一族は、能登原に陣を構えて源氏との合戦を行なった様子が、江戸時代の「西備名区」に能登原合戦として記されています。

 この能登原合戦にも敗れた平家一族は、壇ノ浦を目指して落ち延びて行きますが、山を越えた中山南横倉は、平家谷と呼ばれ、清盛の甥にあたる平道盛主従一行が隠れ住んだと伝えられています。

      

この周辺の主要名所も、少しだけご案内致します(^.-)☆

     

(右)阿伏兎観音 --- 昔から航海安全の祈願所として信仰を集め、最近は子授け・安産の観音様として広く知られています

  

(左)道の駅“アリストぬまくま” (中)ハーブガーデン (右)枝広邸(地域文化館)

  

(左)マリンパーク“境が浜” (中)みろくの里 (右)そば処“ぬまくま”本格手打ちそばをお楽しみ頂けます(^_^)v

  
 
横倉(平家谷)

 平通盛(清盛の甥)が屋島の合戦(1185年)に敗れた後、局や一族が落ち延びた里と伝えられる。この地には、通盛神社、赤幡神社、貴船神社、湯舟神社などが残されている。

 馬の鞍が横に傾いたために横倉、鐙を落とした鐙峠、御方の前、的場、弓場などの地名があり、鏃(やじり)、箙、古鏡等の遺品も現在に残る。

 この谷では、平家の旗印の赤を尊ぶ風習があり、古くから白い物を嫌った。通盛に蛭(ひる)が吸い付いた時、「落人となれば、汝まで我をあなどるか」と、蛭を取り捨てた。

 以来、この地の蛭は今も人の血を吸わないという。 

昭和59年4月 沼隈町観光協会
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