メール友達か
らの画像です(^.-)☆
神戸元町“中華街”・東広島
市“ふだんの酒蔵通り”
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いつでしたか…永年のメール友達が画像を届けてくれました(^.-)☆
で、GONsanのホームページへの転載に了解頂いておりますから、ご案内させて頂きますネ(^-^)/
GONさん、こんにちは。
ここ数日寒いですね。神戸でも25日の朝は雪とな
りました。ちょっとだけ積もったんですが、すぐに消えてしまいましたけどね。
24日には元町へ買い物に出かけました。妻の就職
が決まり、そのお祝いを兼ねて腕時計を買いに出かけたのですが、元町の近くにある中華街では旧正月のお祝いで賑わっていましたので、それにも
ちょっとだけ行って来ました。
神戸高速の元町駅からすぐに本町商店街に入りまし
たら、ちょうど龍舞をやっておりました。長崎のおく
んちとか神楽に出てくる龍と違って、中国の龍は極彩色でフサフサでかわいらしい印象ですよね。
さて、中華街の方ですが、すごい人出です。いろん
なお店が出店を出して、商売をしていました。私たち
は、中華ちまきと桃あんまんを買いましたが、あつあつでおいしかったですね。広場では雑技をやっていました。
良く見えないかもしれませんけど、台の上に4段の
積み木を立ててその上で逆立ちをしていますよ。ここ
では、龍舞とか獅子舞、中国歌舞踊、カンフーとかやっているようでした。
今回は獅子舞が見れなかったので、来年は是非獅子
舞が見たいですね。それに来年は本格的に写真を撮っ
てみようかなと思う私でした。
東広島にいる間に撮っていた普段の酒蔵通りの写真を何回かに分け
てご紹介します。画像はlzh形式の圧縮ファイルにしてまとめていますので、解凍してご覧ください。なお、これらは撮影日も時間もまちまちであることをお
断りしておきます。
今回は白牡丹酒造です。創業は1675年で、西条でもっとも
古い蔵元です。
(左)
延宝蔵の煙突。このような煙突は最近は使用していないそうですが、景観を守るため、残しておられるようです。
よく見えませんが、煙突の下あたりに延宝井戸があり、その奥の小さな
蔵のまえに「創業300年」の石碑があります。
(中)白牡丹酒造の本社。外観は古そうですが、中は新しいです。
(右)JR西条駅からも見える大きな蔵です。期間によってはライト
アップもされます。白牡丹創業の蔵です。
(左)
白牡丹株式会社。白牡丹酒造ではありません。こちらは白牡丹の総発売元で、後者が醸造元となっています。
奥に見えるのは「いちの井戸」で、吟醸酒の仕込は全てこの井戸の水を
使用しているそうです。
(中)(右)天保蔵の裏手です。普段は塀が閉まっていて入れません。
(左)
白牡丹の天保蔵の裏には秋井酒店があります。昔からある古い民家だと思います。古い看板などもあって興味深かったです。
(中)西条鶴をすぎてすぐの交差点を南に行くと、西条酒造組合があり
ます。酒蔵をイメージさせるデザインです。
去年の酒まつりの「てくてくらりぃ」では、桜吹雪がここにお店を出し
ていて、スタンプが置かれていましたね。
お酒造りには良い水は欠かせない、その良い水は森無しにはありえない
ということで、こちらでは、水源の森を守り育てる活動に取り組んでいるそうです。
(右)白牡丹酒造の前を東に行くと、すぐに西条鶴が見えてきます。良
心的な酒造りの精神を伝承、醸造 工程の一部たりとも外部に依存しない真の100%自家醸造です。
(左)
蔵の右手にある母屋は前から見ると和風の2階建てのように見えますが、実は一部3階建て、しかも3階部分は洋風です。
(左)
西条鶴の近くの交差点まで戻りましょう。そこを今度は左へ曲がりますと、本陣跡が見えます。本陣とは参勤交代の時に殿様が宿泊したところです。江戸時代、
西条は、
四日市次郎丸と呼ばれ山陽道の宿場町として栄え、広島藩領内の9カ所
の中で最も大きな御茶屋(本陣)がおかれておりました。これは浅野藩直轄だったそうです。
明治維新後は、賀茂郡役所(後には賀茂地方事務)となり、この地方の
政治の中心となりました。現在は、この正門が復元されています。
右に見えるのは賀茂鶴の本社事務所です。洋館風のしゃれた建物です。
(中)賀茂鶴本社事務所をもう一枚。日本酒メーカーに洋館とは不釣合いのような気もしますが、賀茂泉や亀齢、西条鶴にも洋館風の建物があり、流行だったの
かもしれません。あるいは西条の酒造メーカーは日本だけでなく世界に目を向けようという気質があふれていたのかもしれませんね。
(右)洋館のすぐ横にはこのような和風の建物が建っているのですか
ら、面白いものです。これらの風景は酒蔵通りの代表的な風景のひとつとなっていますね。酒蔵通りの裏道から賀茂鶴の中庭を見たものです。