2002/10/13 水呑歴史民族資料保存会“史跡めぐり”(3/3)
  
  
  
(左)中央石垣の上の土地が“和田家屋敷跡”:和田五郎八(近田屋)は、幕府の奢侈(しゃし)禁止令を期に、古着を寒地に売りさばき巨財を築いた。1849年藩の御用達となり、藩より箕島の土地を貰いこの地に屋敷を作る。屋敷の裏山に茶を植えたため“茶山”と呼ばれる。所有土地は新涯造成地に72町歩・箕島に30町歩。明治15年没。

(中)“和田家屋敷跡”への登り口です。
(右)“和田家屋敷跡”に存在します茶山の三名水の一つ“鶴の井戸”です。

  

(左)“和田家屋敷跡”です。(中)(右)秋ですねぇ〜色鮮やかな花・木々が眼に入ります(^.-)☆

  

(左)釜谷一号古墳:古墳時代後期(6世紀後半)に築かれた古墳で、墳丘は開墾で崩され内部の横穴式石室も半壊し、現在、奧壁と側石の一部のみ残る。単龍環頭柄頭(たんりゅうかんとうつかがしら)<刀の柄の先端部>出土、福山市重要文化財、金銅製6.5×5aの楕円形、中央に玉をくわえた竜の顔が彫られている。他に十基ほどの古墳らしき痕跡がある。

(中)この藪の中にも古墳が存在するのですけど、残念ながら管理も不充分で、入って見る事は出来ないようです(^-^; 入口を示します「釜谷一号古墳」の標識のみが横たわり、管理も行なわれていない事が感じられます(^-^;

(右)新田開発:箕島新涯(俵新田・佐太郎新田)--水呑村内で最も古く水野藩着封前後に出来たと思われる。田畑合計7町1反6畝21歩程度で主に稲作。釣ヶ端新涯(三角新涯)--箕島新涯に隣接し明治4年に完成。畑68町1反6畝19歩。
 広くて説明・案内も不可能ですから、“芦田川河口堰案内図”を利用してのレクチャーでした(^.-)☆

 

  

(左)(中)(右)約2時間の史跡めぐりを終え水呑小学校にと戻って来ました(^-^)GONsanの母校ですけど、懐かしさが漂いますねぇ〜“ふれあい文化祭”が賑やかに開催中で、ミニSLの試乗も楽しそうでしたよ(^.-)☆ 今回の史跡めぐりでは、「こんな所にこんな物が存在するのか…」と、驚くこともありました。機会がありましたら、また参加して見たいですネ(^-^)/
  
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