福山市曙町 塩崎神社
 2005/02/18

 いつも何気なく見ていました塩崎神社なんですけど、いざ、新聞紙上に記事として掲載されますと“んっ?!どんな神社だったかな…”と、再度出かけてみたくなりますから面白いものですネ(^.-)☆
 
 随分前の中国新聞にこんな記事の掲載がありました。
 
 《塩崎神社 初の保護樹林》
 
 --- 2005/02/08 中国新聞 ---
 
 ■福山市みどり審答申 クスノキなど樹木8本指定
 
 福山市みどりの審議会(会長・井上矩之福山大学工学部教授)は7日、高さ33bのクスノキなど8本を新たな保護樹木に、マツやイチョウの林一ヶ所を初の保護樹林に指定するよう市に答申した。市は近く答申通りに指定する予定で、保護樹木は計25本となる。
 
 保護樹木は、高さが12b以上か、幹周りが1.2b以上で、地域のシンボル的な木が対象になる。今回指定されるのは地吹町や大門町、金江町などのイチョウ、クヌギなど5種類。幹回りが5.3b保護樹木の中で最も太いクスノキや、樹齢300年のナギも含む。
 
 保護樹林になるのは曙町の塩崎神社(三輪章宏宮司)境内の千平方bで生育するマツやモッコク、アラカシなど16種類41本。指定基準となる300平方b以上あり、景観が優れている点が評価された。定期的に草取りなど管理されている点も踏まえた。
 
 保護樹木・樹林制度は2003年10月に始まり、今回は第二弾。保護樹木の所有者には1本当たり年間3,000円、保護樹林の持ち主には1平b当たり20円が補助される。
 
 審議会では、04年10月の台風23号の強風で、幹が折れたリギダマツ(坪生町)の指定解除も報告された。
 
 …と、こんな記事でありました。
 この塩崎神社の由来は、
 
 【由緒】
 
 この曙・新涯の地は、明治維新の前夜、慶応3年(1867年)、当時の福山藩政府が10万余両の巨費を投じて川口沖の海中に三方の大堤防を築造し、続いて内部の用・悪水路を通じ、道路・橋梁を完成して出来たものである。以来、三百数十町歩の水田を開発し、逐年入植した我々祖先の粒々辛苦は、30年を経ずして既に太古以来の広々とした青海原を変じて黄金をなす美田となした。
 
 草創以来121年、今や大道路縦横に住宅・会社・工場櫛比する大市街地と化したのである。
 この住民達の心の拠り所として、更にこの大新涯の平安を祈って、ぃち早く築堤潮止めを期して、塩崎神社を唐樋の地に、次いで八幡神社・荒神社・賀茂神社等を勧請し、夫々別々に奉祀していたが、明治31年(1898年)この地を相して合祀したのである。
 
 【各社祭神】
 
 塩崎神社(東側) --- 上筒之男命・中筒之男命・底筒之男命・大帯姫命
 八幡神社(西側) --- 中哀天皇・応神天皇・神功天皇
 荒神社(裏東) ----- 奥津産霊命・奥津姫命・迦具土神
 賀茂神社(裏東) --- 加茂別雷命・玉依姫命・加茂建角身命
 
 【大砲の弾の由来】
 
 明治38年(1905)5月27日に、ロシアのバルチック艦隊と、日本の東郷大将の率いる連合艦隊との大海戦があり、日本が圧勝した。
 此の時、新涯町5丁目出身の縄稚徳治郎氏は、戦艦富士の下士官砲手として参戦した。
 氏は敵艦撃沈の大きな勲功をたて、勲七等功七級の金鵄勲章を授与された。その後、海軍二等兵曹に昇叙された。
 此の砲弾は、縄稚徳治郎氏の凱旋帰郷の際、特に軍より記念として拝受して、郷土の氏神様である、塩崎神社の境内に奉納したものである。(松浦薫雄 記)
 
 …と、こんな塩崎神社なんですけど、久し振りに出かけましたので、ご案内致しますネ(^-^)//"

   

   

 

   

   

(左)このしめ縄は出雲大社より購入した物で30万円もしますとか…

   

 

  

(中)このワンchan、GONsanが写真撮っておりましたら、いつの間にか足元にヤッて来ておりました(^.-)☆

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