打瀬船に乗って海上から眺めます鞆の 浦の景観もまたイィですねぇ〜 <7/7>
  
《山中鹿之助首塚》

 戦国時代の終り、毛利氏に滅ぼされた尼子氏の家臣、山中鹿之助は、主家の再興を願い兵を挙げま したが、1578年(天正6年)高梁川・阿井の渡しで討たれました。

 静観寺に本陣を敷いていた毛利輝元や室町幕府最後の将軍・足利義昭は、鹿之助の首実検をしまし た。

 岡山県の高梁川・阿井の渡しには胴塚があります。

《ささやき橋伝説》

 応神天皇の頃、百済よりの使節の接待役・武内臣和多利と官妓・江の浦は、役目を忘れ夜毎この橋 で恋を語り合っていました。それが噂になり、二人は海に沈められました。

 それから密語の橋と語り継がれています。

 そんな経緯もありまして、この周辺は“江の浦”の地名として現在に至っています。

  

(左)山中鹿之助首塚です (右)ささやき橋です(欄干のみが昔の橋の位置を伝えています)

  

(左)(中)(右)沼名前神社です この神社の火祭りはなかなか勇壮なのですよ(^.-)☆

  

  

(左)この銅像の方が何者なのか分かりません(^-^; (中)(右)第四便なのでしょうか…打瀬船 なかなかイィですねぇ〜

GONchan's 掲示板 @ より
  [484] 鞆の浦を見て思った。

 投稿 者:ワイセン 投 稿日:2003/11/04(Tue) 13:49

 沼隈神社の境内の中にある銅像は、仁丹の創設者、森下博である。
 大阪にある仁丹会社を始めた人らしい?

  

(左)鞆の浦渡船場と仙酔島を結びます観光フェリーです (中)テレビ等でよく紹介されます“対潮 桜”です

  

(下)福山市役所鞆支所前の堤防から撮りました弁天島です(その後方が仙酔島なんです)

  
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